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町家について



強制取り壊し政策跡地(現:御射山公園)より町家を望む(撮影:2007年)



【河合邸 1階平面図】



築造は明治38年。
町内にたった1軒残った京町家 "河合邸"


現在セカンドハウス東洞院店・omoya東洞院となっている町家は
明治38年に建てられた元呉服商の店舗及び住居であり、
今では町内でたった1軒現存する京町家となっています。

見所は京都独特の
「通り庭の奥にある中庭を挟み、住まいと店を分離させた」造り。

奥のo・mo・yaの座敷に使われている浅黄壁も大変貴重なもので、
これを持つ町家は既に京都市内に3箇所程度しか残っていません。


周辺の目覚しい開発にも関わらず、
改装工事の直前まで家主がこの家で生活を営んでおられました。

しかし時代に取り残されるよりも、「この家が本来持っていた機能と活力を取り戻す」ことを選び、活気溢れるo・mo・ya東洞院セカンドハウス東洞院店として改装されたのです。

ここは観光用に作られたものではなく、
実際の暮らしがあり、100年人によって受け継がれた
ぬくもりが満ちる “本物の町家”です。


奥の住居部分(omoya)へと続く通路


浅黄壁をもつo・mo・yaの座敷
その存在感、魅力、そして「京都に住まう」という事に、ぜひひと時触れて下さいませ。

(※)昭和初期にファザード部分を改装

This building "KYO-MACHIYA"is house of a traditional style of Kyoto built in 1905.
A characteristic is that a shop parts from a house across the garden.
This isn't the building which somebody recent made for sightseeing. This is genuine.
We want you to feel the reality of the living of Japan, Kyoto.




戦争を "生き残った" 町家

 

祇園祭の提灯を灯し、
鮮やかに夜に浮かび上がる
かつては京都のメインストリート。
第二次世界大戦時の
強制取り壊しは免れたものの…


その昔は天皇行幸の通りであり、
京都のメインストリートであった東洞院通り。
戦前までは周囲にたくさんの京町家が建っていました。

しかし1944年、
米軍の本土空襲の被害を少なくするための政策として
この一画の家々は河合邸を除き、
全て強制的に取り壊されました。


同時に近年の活性化にも取り残される事となりますが、
この町家本来の "機能" と "活力" を取り戻すための努力が
京町家再生研究会によって行われていましたた。
その中で出会ったのが、
spaghetti & cake SECOND HOUSEのオーナーでした。



そして生まれ変わるために

 
阪神大震災の経験を活かし、
平成9年に迎えた、セカンドハウスのオープン


ぜひレストランとして再生したいというセカンドハウスのオーナーの思いは伝わり、建物調査からレストランのオープンまで研究会・学者・技術者など多くの人が関わりながら改装や耐震工事が行われました。

そして平成9年、表の店舗部分を再生しセカンドハウス東洞院店が誕生。平成12年、母屋部分がo・mo・ya東洞院として生まれ変わりました。


※阪神大震災で京都も大きな被害を受けたにもかかわらず、世間一般にはまだ自宅の耐震診断・対策への関心は希薄でした。
しかしそのような時期にあり、「人に貸す以上いい加減なものではなく構造の安全性に不安のない状態で貸したい」という河合氏の意思により、町家の構造を崩さずに可能な限りの補強が行われました。

omoyaの庭と最奥「」へ続く廊下


セカンドハウス東洞院店の2階食事席


 東西断面図

出典:京町家通信 (発行:京町家再生研究会)


 




 

株式会社ザックエンタープライズ
〒606-8272 京都府京都市左京区北白川山田町45-1
  京都を中心に、spaghetti & cake SECOND HOUSE、京町家創作フレンチレストランo・mo・yaなどを展開しています。ゆったりとくつろげる雰囲気の中で、手作りのあたたかみある料理をお楽しみ頂く事にこだわり、料理も店も手作りで一つ一つ丁寧に作り上げています。 | このページの一番上へ戻る |
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